【特集】ありがとう 東京現像所

東京現像所が、営業を終了した。
1955 年以来、調布の地にあって、映画・映像産業を技術的に支えてきたラボだ。
本映画祭では、長年の映画業界への貢献を「第6 回映画のまち調布賞」の「特別賞」を贈賞することで顕彰するとともに、特集上映と特別展示においてもその事績を紹介する。
特集上映の作品は2 本。1 本は、東京現像所で仕上げを行った『大誘拐』(1991年/監督: 岡本喜八)。もう一本は『空の大怪獣ラドン』(1956年/監督: 本多猪四郎・特技監督: 円谷英二)。2022 年に行われた4Kデジタル修復作業を東京現像所が担当した。
特別展示では、東京現像所の仕事を中央図書館の独自取材で紹介する。

第6 回映画のまち調布賞 特別賞 株式会社東京現像所

2月11日(日)10:00

『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991/119分/35mm)
トークゲスト:岡本みね子(プロデューサー)、矢部勝(東京現像所代表取締役社長)

ⓒ1991 東宝・ニチメン・フジクリエイティブ

2月11日(日)14:00

『空の大怪獣ラドン』<4Kデジタルリマスター版>(1956/82分/DCP)
トークゲスト:三池敏夫(特撮美術監督)、清水俊文(元東京現像所 営業部長兼アーカイブマネージャー)

ⓒ1956 東宝

2/10(土)~2/18(日)

出張!映画資料室「東京現像所という仕事」

映画人から東京現像所へ寄せられたメッセージ

数々の名立たる映画人が時を過ごしてきた東京現像所。
本映画祭での「ありがとう 東京現像所」の開催にあたり、特別メッセージをいただきました。

樋口真嗣(映画監督)

初めて仕事に行った「現像所」でした。(※)キッカケをデルマでけがいたラッシュを持って合成カットの発注でした。初めて初号試写を見た「現像所」でした。遅れに遅れて出資社の偉い人を待たせた挙句に画と音がズレていて血相変えて映写室で確認したものです。会議室に貼ってあった「沈黙の世界」や西太后が主役らしい中国映画のポスターの褪色の具合が会議の内容よりも気になっていました。他社に追随してモーションコントロールカメラを導入して設置した地下室が地盤沈下で大変なことになったりもしてました。
思い出は尽きません。ありがとうございます。お疲れ様でした。

※デルマと呼ばれる赤い鉛筆で、合成する熱線などをタイミングを合わせてラッシュ(テストプリント)に直接描き、合成の発注をした。

金子修介(映画監督)

1978年から新卒で日活ロマンポルノの助監督となり三鷹から布田の撮影所に通った。日活フィルムの現像は五反田の東洋現像所(後のイマジカ)であったが、年末日活撮影所が下請けした山口百恵の『炎の舞』に就いて初めて東京現像所で0号があった。東宝はここで現像するのか、意外に小さいなと思った。
81TVアニメの脚本をバイトしたので『うる星やつら』や『銀河旋風ブライガー』でバイクで来た。日活へ通う時も前を通った。監督になってからは89年『どっちにするの。』から東宝配給作品はここ。『香港パラダイス』『就職戦線異状なし』『卒業旅行ニホンから来ました』『学校の怪談3』など東現で多くの仕事をした。ガメラはイマジカでゴジラは東現。2006年『神の左手悪魔の右手』が僕にとってはラスト東現、終わって調布で飲んだ思い出。お疲れ様です。ありがとうございました。

手塚昌明(映画監督)

「徹夜明けの東京現像所」
成城の東宝撮影所から調布の東京現像所に移動し、夕方出発で数社の合成担当会社を回って合成の結果を確認。徹夜明けで現像所に戻り、会議室でウトウトしながら、朝、現像が上がった合成カットを試写室で見る、という日が一週間続きました。私のゴジラ三作品の最終仕上げは、みんなそんな状態でした。東京現像所は濃密な日々を過ごした大切な場所。いつも笑顔で対応してくれた東京現像所の方々の顔が、今でも忘れられません。本当に有難うございました。